水道局から督促状が届き、そこでようやくわたしのふざけた行動が明るみになりました。
なくしたままの状態だった通帳を作りに行き、残高がほぼないことが知られました。
ずっと「200万以上はある」と言っていたけど、適当な嘘がとうとうばれた…やばい。
「やばい」です。
こんなことを考えるということは、まだことの重大さがよくわかっていない、と今なら言えます。
話を戻して。
「残高だけ見せられても、履歴がわからないことには何を反省すれば良いかわからないでしょ」
至極真っ当なことを突きつけられ、過去5年間の履歴を遡ってみたところ、、
令和1年7月には約240万残っていたのに、その日のうちに5万円引き落としていました。
その後もまとまったお金を週に何度も。
いよいよ隠せないと思ったところで、理由を言えるに至りました。
パチンコです。
「そうだよね、じゃないとこんな減り方しないよね」
何の躊躇もなく5万円をおろしていたのをみるに、この前までもしていたことは間違いありません。
が、たぶんこのときはまだ週に1回行くくらいで、ただのお楽しみ、暇つぶし程度に思っていたはずです。
『申告していた200万を切らなければどうにかなる。巻き返せる』
心境といえばそんな軽いものでした。
この時点で反省があまりないのは、この通帳が家のもの…というより、以前外で働いていたときの『わたしが稼いだお金でもある』と思っていたから。
クレジット決済に関してもそうで、生活費・お小遣いとしてもらっていたお金の範囲内なら、これはわたしのお金だと勘違いしていたからです。
この甘さが週1回から2回、
時間ができたから、
次は勝てそう、
新しい台が打ちたい、
当たった!
負けた…
と次第にのめり込むようになりました。
お金がまだある、巻き返せる、これくらいなら許せる?を繰り返して。
いよいよやばいと自覚したのは…貯金が30万を切ったころだったと思います。
なぜその前に踏み止まれなかったのか。
パチンコ店のトイレには『お悩みならご相談を』というポスターが貼られているのに、なぜそれをスルーし続けたのか。
子どもへのお祝い金や夫の財布…そんな大事なお金にまで手を出し、それでも辞められなかったのは。
何も、考えてなかったから。
ただ楽しかったから。
やった方が良いことはほどほどに、それをストレスと称して、時間を無理やりつくってはパチンコ店へ逃げたのです。
以上がわたしが始めた、辞められなかったお話です。