寄り添ってくれるということ

前回の夫の記事をきっとみなさん見られた、という仮定で今回は書かせていただきます。

冒頭からいきなり『パチスロで勝つのは簡単なのです』

…こらこらこら。

確かこのブログのタイトルは”依存症克服”であったはずなのに、、なぜ誘うような文面?と、ちょっとぐらついてしまうような始まり方でした。

そしてその後に続くのは必勝の条件。

パチスロの場合は

①高設定(設定4.5.6)を打つ②長時間打つ

パチンコの場合は

①ボーダー超えの釘を打つ②長時間打つ

だそうで。

非常にわかりやすいですが、それを気にしながら打っていたはずのわたしはおや、勝ててない、、な?

まぁあとの文を読んでいけばそりゃそうだと納得せざるをえないことだらけで、むしろそこまで考えながら打たないと勝てないとか、何も考えてないわたしにはそもそもハードルが高すぎたなと実感している今なのですが。

この夫の記事について、思ったことや疑問をぶつけてみました。

「軍団…確かにいたよ」

「ずっとウロウロしてる人がハイエナってこと?」

「え、夫さんもそんな感じで行ってたの?」

「なるほど…打つ台がなければ潔く帰る、と」

「それできない人間が負ける、と…イタタタぁ」

噛み砕いて、でも丁寧に対応してくれる夫との会話一つ一つが、、とても楽しいことに気づきました。

お金を使い込んだ、嘘をついた、と一連のことですごい傷つけていることがわかっているので、たとえば『パチンコ』のパの字でもしゃべろうものなら不謹慎なのでは?と思っていたのですが、

わたしの依存症克服へ向けて一緒に対峙してくれている、その気持ちがとても嬉しいのです。

[依存症 克服]と検索すれば、医療機関での治療を促されます。

もしくは専門機関への相談や自助グループへの参加。

依存症についてもっと知りたい方へ
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医療機関では治療費が30〜50万円にもなると知り、それなら相談かと考えればそちらにももちろんお金が発生する。

では自助グループとは?と調べれば、ざっくりといえば「行っていたことや行っていたときの気持ち」を話しお互いで認め合うグループ、というものでした。

こんな状況なのは自分だけじゃないと知ることができる。

行っていたこと•気持ちを分かち合える。

またその経験を客観的に見ることができる。

隠す必要がないというのはなんと楽なことなんでしょうね。

「分かる」と言ってくれる存在がいるということが安心につながり、それはそのまま克服へのプロセスになるのだろうなと。

…あれ?

じゃあ夫がわたしに向き合ってくれて、しょうもないことを聞いてくれる応えてくれる今この状況こそがまさに最中じゃあないですか。

やましいことがあると必然と会話しなくなる、必要なこと以外は話したくなくなる、、

お金を使い果たしたことがばれる前のわたしは話す、それすらもなんとなく謙遜し、夫に対して随分と後ろめたい態度をとっていたんだなぁ。

あのときが異常だったと気づけただけでも、克服に向かって前進できているのではないでしょうか。

もちろん夫やパートナーの協力あってこその”日常”ではあります。

自身に酷いことをしてきた人間に対してそれを許してあげてとは口が裂けても言えませんが、少しだけでも寄り添ってもらえると救われるのです。

救われたわたしは、夫と現状とに向き合っていくべく前を向くことができました。

ギャンブルに限らず依存症に悩んでいる方、どうぞ自身の周りに目を向けてみてください。

きっとあなたを心配して寄り添ってくれる存在がいるはずですから。

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